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ネブラスカ(USS Nebraska, BB-14)は、アメリカ海軍の戦艦。バージニア級戦艦の2番艦。艦名はネブラスカ州に因む。元の艦名はペンシルベニアであった。 ネブラスカは1902年7月4日にワシントン州シアトルのモラン・ブラザース社で起工し、1904年10月7日にマリー・N・ミッキー(ネブラスカ州知事ジョン・H・ミッキーの娘)によって命名、進水、1907年7月1日に初代艦長レジナルド・F・ニコルソン大佐の指揮下で就役した。 ネブラスカは1908年5月6日にサンフランシスコでアラバマと交代でグレート・ホワイト・フリートに加わった。7月7日にサンフランシスコを出港した艦隊はホノルル、オークランド、シドニー、メルボルン、マニラ、横浜、コロンボを訪れ、1909年1月3日にスエズに着いた。9日にメッシーナを艦隊は出港し、ナポリ、ジブラルタルを訪れ、2月22日にハンプトンローズに着いた。 ネブラスカは1909年のハドソン・フルトン祭(Hudson-Fulton Celebration)、1912年のルイジアナ百年祭(Louisiana Centennial)に参加した。 1917年4月6日にアメリカは第一次世界大戦に参戦したが、この時ネブラスカは修理中であった。4月13日にボストンを出港してネブラスカは大西洋艦隊とのチェサピーク湾地域での演習に向かった。その後は東海岸で単独で行動し、1918年4月15日に修理のためノーフォーク海軍工廠に入った。 1917年5月16日、ネブラスカはウルグアイの特命全権公使、Carlos M. DePenaの遺体を載せてハンプトンローズを出港、6月10日に太平洋艦隊の旗艦ピッツバーグと共にモンテビデオに到着し、遺体を引き渡した。ネブラスカは6月15日にモンテビデオを出港して7月26日にハンプトンローズに戻った。 1917年9月17日、ネブラスカは18隻の商船からなる船団の護衛としてニューヨークを出港した。10月3日にハンプトンローズに戻った後ネブラスカはさらに2度船団護衛を行った。 ネブラスカは1918年12月30日から1919年6月21日までに4度アメリカとフランス、ブレストの間の航海をおこない、4,540名の兵士を運んだ。その後は西海岸で行動し、1920年7月2日に退役した。ネブラスカはワシントン海軍軍縮条約によって廃艦となり、スクラップとして売却された。 == 関連項目 == * アメリカ海軍艦艇一覧 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ネブラスカ (戦艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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